自歩人の生活 LIFE OF JIPPOJIN

坂上みきさん(パーソナリティー/ナレーター)

“海の見える家”からはじまる、新たな人生

安定すると、それを壊したくなるんですよ―
テレビ新潟の“局アナ”という安定したポジションを3年で手放し、「MBSナウ」のキャスター、TOKYO FMの看板パーソナリティーと、より個性を発揮できる舞台へ華麗にステップアップを遂げてきた坂上さんの生き方は、若い女性の憧れの的となっている。
そして、「ガムシャラに仕事をしてきた」という20〜30代を経て、40代で素敵なパートナーと巡り会い、結婚。「今後は、ふたりの生活の中から湧き上がってくる感性を仕事に反映させたい」と微笑む坂上さんに、これまでの歩みや、ご夫婦のライフスタイルなどをお聞きした。

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キッカケは『徹子の部屋』

就職活動を間近に控えた大学4年生の春休み。家でゴロゴロしながらテレビを見ていたら、ちょうど『徹子の部屋』がはじまって。ユーモアたっぷりに、ゲストからエピソードを引き出す黒柳さんの姿を見て、「この仕事、すごく面白そう。私もやってみたいな」という気持ちになったんですよ。
ちょうど進路について考え始めていた時期だったので、「黒柳さんみたいな仕事をするには、どうしたらいいんだろう?」と考えて、「そうだ、まずは“話し方”を学ぼう」ということで、その翌週くらいからアナウンススクールに通い始めました。(笑)

ミュージシャンとか絵を描くとか、私には、そういうクリエイティブな才能はなさそうだったし、かといって事務処理能力はゼロだったので、「デスクワークは無理だろう」と。(笑)

だったら黒柳さんのように、自分を媒体として誰かをインタビューすることで、より分かりやすく、自分らしく伝えることができれば楽しいだろうな、と思ったのが、この仕事をするキッカケだったんです。もちろん黒柳さんは、ものすごくクリエイティブな才能をお持ちの方ですけどね。(笑)

「ヤバイ、ヤバイ」という心の声に従って…

大学卒業後は、念願かなってテレビ新潟に入社し、アナウンサーとして、天気予報からニュース、バラエティーまであらゆる仕事をこなしました。
だけど、3年目くらいから「このまま同じ職場にいたら、ヤバイ、ヤバイ」という心の声が聞こえてきたんです。(笑)うまく言葉にできないんだけど、私、安定してくると、それを壊したくなるタイプみたい。(笑)
それで、テレビ新潟を3年で退社し、地元大阪に戻って「MBSナウ」というニュース番組のキャスターを務めていました。だけど、しばらく続けていると、また「ヤバイ、ヤバイ」という心の声が聞こえてきて…。(笑)

当時は、関西でアナウンサーを続けていく限り、ニュースを読むか、吉本の芸人さんと一緒にバラエティーをやるか、という2つの選択肢しかなかったので、20代の私にとっては窮屈だったんでしょうね。30代前後って、自分の進路について、いろいろ悩む時期でしょう? 「本当にこれでいいのか?」「ほかにも可能性があるんじゃないか?」ってね。それで、自分を見つめなおしたくて、5年目に「MBSナウ」を辞めて、4ヶ月半に及ぶヨーロッパ一人旅に出たんです。まさにバックパッカーですよ。初日の宿泊先だけは決めていましたけど、あとはまったくのフリー。
そんな気ままな旅の中で、「何か答えが見つかるかも」と思っていたんですが、結局たいした答えは見つからなかった。(笑)ただ、右も左も分からない海外を一人旅することで、「食べ物と寝床さえあれば、人間は生きていける!」というヘンな自信はつきましたね。
そういう意味では、私に転機を与えてくれた、かけがえのない旅だったと思います。

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