自歩人の生活 LIFE OF JIPPOJIN

武田双雲さん(書道家)

人との出会いで歩んだ道の先で人々の可能性を伸ばす「花咲爺」になる

NHK大河ドラマ「天地人」の題字をはじめ、その独特の力強い文字が多くの人々から支持される武田さん。3歳の頃から母親である、書家・武田双葉(そうよう)さんに書を叩き込まれてきた。東京理科大学を卒業後、NTT東日本に勤務し、2001年1月、25歳で独立。現在は、湘南を基盤に創作活動を続けている。
TVをはじめとした華やかなメディアでの活躍の半面、湘南の地にアトリエを構え、家庭ではよき父親でもあるという武田さんのこれまでの活動から、ご家族、ライフスタイルなどについてお話を伺いした。

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人との不思議な縁があったから湘南に家を構えることになった

僕は生まれも育ちも熊本で、大学入学で上京してきたんです。上京と言っても、最初に住んだのは千葉・野田市。社会人になると、今度はNTTの横浜の寮へ移りました。とてもいい会社で、独立しようとは全く思っていなかったんですけど、書道教室が開きたかった。だから、会社で2年余り働いた頃、書道教室に使う物件を探し始めたんです。

当時は、休みの日になると彼女(現在の奥様)と一緒に横浜・戸塚や都内の不動産を回っていました。生徒さんが集まりそうだから、都会のマンションがいいかなとあまり深く考えていませんでした。でも、動き始めてわかったことは、書道教室は部屋が汚れるから貸せないという声が多くて、意外に大変でした。

そんな時に、上司から当時NTTが力を入れていたISDNの営業リストを渡されたんです。そのリストで最初に電話をかけた相手が印刷会社の方で、僕の話に興味を持ってくれました。話を進めると、その方はグラフィックデザイナーとして独立したい、と。僕も独立する上で何かの参考になると思い、アポを取って川崎で一緒に飲んだんですよ。そうしたら会計の段になって、「知り合いが、持っている空き家に誰か住んで欲しいと言っている」と。それが、最初の湘南の家でした。早速現地に行くと、もう一目惚れ。それで、すぐに契約をしました。
みんなには大反対されましたよ。だって、家賃がNTT時代の給料よりも高くて、土地が約200坪。築100年くらいの大家で無駄に広い。それに最寄り駅からバスに乗って、バス停からまたかなり歩くんです。冷静に考えれば家賃は高いし、ボロボロの家

だし、こんなのを借りてどうするの?ということになるんでしょうが、直感でいいと思ったんです。でも、数年すると、その家も建て替えが決まり、出なきゃいけないということになったんです。そうしたら、今度はうちの奥さんのお母さんが、今の家の土地を見つけてきてくれたんです。散歩でたまたま通りかかったとかで。見に行ったら、またすぐ気にいってしまって、そこに家を建てることになりました。それが、現在の住まいです。

だから、最初から湘南に住もうと思ったんじゃないんですよね。あくまでも人の縁。それが結果的によかったんだと思ってます。そして、できあがった家も、特にあれこれ注文を出したわけじゃないのに、すごくよくてね。この家を作ってくれた70歳の建築家の仕事そのものが、とても素晴らしかった。

僕は、物事に対してポジティブな面に目が行く性格だからかもしれないけど、仕事も楽しい仕事ばかりで、嫌だと思ったことはないし、毎日の暮らしの中でも、いつも「いい嫁だな、いい家族だな、いい環境だな」と思うんです。

そういえば、一時「前向きに」とか「幸せに生きる」とか、ポジティブ志向について書かれた本がたくさん出たじゃないですか。ああいった内容が本になることにビックリしたんです。当たり前と思っていましたから。世の中の人は、みんな僕のように考えていると思っていたんですけど、それは間違いで、僕が特殊だってことに「ポジティブ」本が出た時に気づきましたね。

ストリート書道の活動の中で学んだ人とのかかわりあい

ストリート書道も、人との出会いから始まったんです。

書そのものを始めたのは3歳でした。母親が書家なもので。でも、母親は僕が小さい頃、空手、水泳、公文、少林寺拳法、音楽教室など、いろんな習い事に毎日通わせてくれていたんですよ。書道もあくまで、そのうちのひとつです。

ストリート書道は、昔からやろうと考えていたわけじゃなくてね。

会社を辞めてすぐのある日、藤沢駅前でサックスプレイヤーのストリートミュージシャンに出会いました。それまでは、ストリートミュージシャンで感動することなんてなかったんですが、その人の曲には涙が流れたんです。演奏が終わって彼と話をしている

うちに、なぜか「ストリートに一緒に出させて下さい」と言ってしまった。セッションというほどではないのですが、5m程離れた場所で演奏してもらって、僕は書を書くという形。それがストリート書道の始まりです。

ストリートの活動では、いろんなことを学びました。まずは、ちゃんと人の話を聞くということ。自分が一方的に「ああしたい、こうしたい」と言っても他人には響かない。会話のキャッチボールをすることを学びました。まずは、僕が興味を持って、その人と心を開いて話す。彼らの話をある程度聞くと、何となく心の中が見えてくる。そのタイミングになったら書にするんです。僕が感じた彼らの心の中を文字にして表すと、感動して、よく泣いてくれましたね。僕がサックスに泣いたように、彼らは僕の書く字に心震わせてくれたんです。

そんなストリートでの活動をしている時に、映画祭の関係者の方に出会い、インディーズ・ムービー・フェスティバルでパフォーマンスをするというオファーがあったんです。そして、それを見た人がまた僕に興味を持ってくれて…。そうやって、いろんな人とつながって、僕はここまできたんですよね。

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