自歩人の生活 LIFE OF JIPPOJIN

合田泰子さん(ワインインポーター)Yasuko Goda

突然のフランス生活が生んだワインとかけがえのない人たちとの出逢い

フランス語でヴァン・ナチュールと呼ばれる自然派ワイン。
体に優しく飲み疲れしないと女性を中心に人気を集めている。
合田泰子さんはそんなワインを日本に広めた第一人者。
ワインを通じての多くの人々との出逢い。
そして、仕事や家庭についてなど
これまでの人生について語っていただいた。

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合田泰子さん(ワインインポーター

学生ビザを取るために出逢ったワインの世界

私が生まれ育ったのは関西。父親は食べることに熱心な大阪の“おっちゃん”で、私自身も小さな頃から食に興味がありました。小学生くらいからフランス料理などもよく食べに行っていましたし、大阪の台所と呼ばれる黒門市場に食材を見に行くのも好きな子どもでした。いまの私の原点は、ワインというより、「食」にあるんです。
私の転機は32歳のときでした。27歳の時に結婚した主人は大学の研究者。公共建築のリサーチのためにフランスに行っていた彼が、フランスの食文化の素晴らしさを話してくれたんです。そして、食に対していつも貪欲な私に、「フランスに行ってくれば?」と提案しました。さすがに、彼に子どもを任せるというわけにはいかないので、当時、4歳と1歳だった息子2人を連れて行くことにしたんです。私と実家の母と子どもたち、4人で10カ月のフランス生活をすることになりました。
住む街は、生活費の比較的安い南部のボルドーを選びました。4人で暮らした家は古い石造りで、お部屋が2つ、お風呂と小さいキッチンという構成でした。でも、立派なガスオーブンがあって、そんなところひとつをとってもフランスは違うなと思いました。日本に帰ってきてから買った家も、キッチンはドイツのシステムキッチン。オーブンはプロが使うフランス製、お風呂はヨーロッパ的なタイル張りにしました。そのときのフランス生活の影響が大きいのでしょうね。大きなワインセラーもあって、パーティなどもよく開きました。

ボルドーの家から通ったのがボルドー大学でした。選んだ理由は長期間住むために学生ビザがほしかったから。でも、ボルドー大学こそワインとの本格的な出逢いの場所でした。大学では「デギュスタシオン」つまり、テイスティングの講座をとりました。また、エノロジー(ワイン醸造学)も学んだのですが、ラッキーなことに、私の隣に座っていたのが、ミシェル・ゲラール。彼は30年以上もミシュランから3ツ星という評価を受けている「レ・プレ・ドゥジェニー」のオーナー・シェフで、現代最高の料理人の一人です。彼は自分のレストラン用のワインをつくるために、ボルドー大学で勉強していたんです。あれからもう25年経ちますが、彼とは長い付き合いで、仕事においていろいろ助けていただきました。

まわりの人々に助けてもらった子育て

まわりの人々に助けてもらった子育て

留学当初は、ワインの仕事をすることになるとは夢にも思っていませんでしたが、帰国するとワインへの思いが強いものになっているのがわかりました。そこで、ワインインポーターの仕事を探すことにしたんですが、子育て中の女性を採用してくれるようなインポーターはなかなか見つかりません。唯一採用してくれたのが、ドイツワインを中心に輸入していた商社です。子どもの面倒を見るために、アルバイト契約にしてもらいました。10時〜16時で働いて、その後に子どもたちを保育園に迎えに行くという毎日でした。けれど、そのうちどんどん忙しくなって、仕事も広がってゆき、夜遅くまで残業するということが多くなってしまいました。当時の日本でワインといえばドイツワインが中心でした。私のようにフランスワインのことをわかる人が会社にはいなかったということが一番大きかったですね。だから、仕事に追われてしまって、子どもたちに対しては母親らしいことがあまりできなかったと思います。やはり、夫や母といったまわりの人たちの支えがあったからこそ、仕事を続けられているんだと感謝しています。
結局、その商社には8年間在籍しました。その間は、ずっとひとりでフランスワインの仕事に取り組んでいたわけですが、一緒に仕事と悩みを共有する仲間が必要だと痛感した8年でもありました。そんななか一緒に会社を立ち上げようと誘ってくれたのが、いま現在も私とともに代表取締役として二人三脚で頑張っている塚原正章です。彼とは1989年にブルゴーニュワインの勉強会で出会い、意気投合した間柄です。当時はインターネットなどもちろんなく、海外から資料を取り寄せては訳し、助け合いながら海外のワイン事情を入手していたんです。そんな塚原と1997年、一緒に会社を立ち上げることになりました。

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